病院の傘

2007.01.01
「病院の傘 」野川揺
(新風舎・2006年11月刊)

 病院で偶然目にした1本の傘。そんな日常的な光景から物語は始まる。作者は商社マンから作家に転向した異色の経歴を持つ野川揺。傘を巧みに織り込み、ハートウォーミングなストーリーを紡いでいる。

 主人公の多恵は、息子を出産した後に子宮がんを患い、子宮を摘出したが、入院中に夫が自分の友人と浮気。それが原因で離婚し、愛しい息子とも離れ離れになる。それから3年。多恵は、脳梗塞で倒れリハビリ中の母の付き添いで訪れた病院で、1本の傘を目にする。それは自分が長年愛用し、1ヶ月前になくした傘。多恵は持ち帰ったが、よく見ると、細部が異なり、自分のものでないことに気づく。

 多恵は傘を元の場所に戻したものの、その存在が心から離れない。そんなとき、同じ病院に通う篤夫とその幼い娘に出会う。妻を子宮がんで亡くしていた篤夫とは話が合い、娘も不思議となついた。自然な流れで多恵と篤夫は結婚の約束をする。しかし、結ばれる直前に篤夫は交通事故で急逝する。突然の不幸に我を失う多恵。しばらく憔悴の日々を過ごしたが、次第に自分になついた亡き婚約者の娘に会いたい気持ちが芽生える。そして、娘を引き取った篤夫の両親を訪ね、遺影の傍らに置かれたアルバムのページをめくったとき、多恵の体に衝撃が走る。写真の中の篤夫の亡妻が、病院で取り違えた傘と同じものを差していたのだ。多恵は運命に突き動かされ、自分が娘を育てる決意を固める——。

 作者は自分自身が偶然傘を取り違えたことがきっかけで、物語を着想したという。傘が結ぶ不思議な縁。じっくりと味わってほしいものだ。

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