Vol.1 洋傘づくりは分業制。露先だけの専門業者も

2012.10.10

洋傘の純国産化が始まったのは、明治22~25年頃。昭和20年代後半頃からは国産洋傘が本格的に普及し、洋傘づくりは日本のお家芸となった。「傘づくりニッポン」では、世界に誇れる日本の洋傘づくりの技術や伝統、歴史を紹介する。


洋傘づくりは分業制。露先だけの専門業者も


洋傘は実に多くのパーツによって成り立っている。主なものは生地、骨、手元だが、それ以外にも細かいパーツがあり、部品点数は40~50個にも上る。製造での特徴は、例外はあるものの、基本的に「分業制」で作られることだ。つまり、各パーツはそれぞれ専門業者により製造され、洋傘メーカーはそれらのパーツを仕入れ、組み立てて商品にする。自動車メーカーが部品会社からパーツを仕入れて組み立てるのと仕組みは同じだ。

 例えば、洋傘の骨の先端に付けられる「露先」というパーツだけを専門に作る業者。洋傘メーカーは「露先見本帳」(写真参照)を参考にしながら、傘のデザインとマッチする露先を発注する。木やプラスチック、金属など、素材の種類は様々で、形やデザインも多種多様。カラーも豊富だ。

露先見本帳

 
見本帳では、たたんだ傘をバンドで留める際に必要な「ボタン」の見本も示され、露先のデザインに合うものを発注できる。さらに、見本帳にあるパーツ以外にオリジナルな露先もオーダー可能だ。


露先を発注した傘
 
最近では、こうした細かいパーツの専門業者は非常に少なくなった。日本の洋傘産業を支え続け、今もなお最高の腕を持つ作り手たちの技術を、どのように将来につなげていくかが課題となる。

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