本当に江戸の浪人は傘張りの内職をしていたのか? —時代考証でみる江戸の仕事事情

2009.06.01
「本当に江戸の浪人は傘張りの内職をしていたのか? —時代考証でみる江戸の仕事事情」山田順子
(実業之日本社・2008年12月刊)

 クイズや歴史のテレビ番組で放送作家として活躍する山田順子氏の力作。山田氏は、時代劇映画のために、歴史や美術の資料を収集・研究し、脚本家や監督に的確な助言を与えたり、役者を指導する「時代考証」という職業の専門家でもある。

 さて、山田氏によると、江戸時代は士農工商で仕事が固定されているわけではなく、公家や大名以外は、かなり自由に職業を選べたという。本書では、それらの仕事を詳細に紹介。油売りや貸本屋、古着屋に髪結い屋、八百屋に魚屋、居酒屋、焼き芋屋。ゴミ収集屋も汲み取り業(糞尿を集める)もいた。代金均一で売る今の100円ショップのような店もあった。さらに農民は武士という身分を「金」で買っていたそうだ。要は何でもござれ。人々は基本的にはやりたい仕事につけたのである。

 その仕事の1つが、本書のタイトルにもなっている「傘張り」。いわずと知れた時代劇における浪人の定番仕事だ。元禄年間(1688〜1703年)ごろから江戸でも竹骨と油紙を使った傘の製造が本格的に始まったが、現代の貨幣価値に直すと1万円を超え、江戸の庶民には高値の花。そこで、古くなって紙が破けた傘を買い歩く「古骨買い」という職業が誕生。傘の傷み具合によって1本100〜300円で買い上げ、それに新しい油紙を張って「張替傘」として、 5000〜7500円で売ったという。これで、何とか庶民も買えるようになったそうだ。

 この油紙を張り替える仕事こそが、時代劇でたびたび登場する傘張り内職。実際、多くの浪人(仕事を失った武士)が、せっせと張り仕事に精を出していたようで、特に青山百人町(今の港区の青山)に屋敷があった甲賀組には熟練者が多かったという。平和な江戸の世で、本来の仕事がなくなった忍者が、傘張り内職で食い扶持を得ていたわけだ。

 いずれにせよ、傘をリサイクルするシステムが江戸時代にあったことに驚きを覚える。そこからは「モノを大切にする」という姿勢だけでなく、市場のニーズを貪欲に見出し、それをすぐさま仕事にして金を得るという江戸市民の機転と気概がうかがえる。そのたくましさ、ぜひ見習いたい。        

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