アンブレラ 傘の文化史

2002.10.01
「アンブレラ 傘の文化史 」T.S.クローフォード著/中尾 ゆかり他訳
(八坂書房・2002年8月刊)

 「エジプトの古文書では、傘の形をした象形文字は、時に主権を示していた」。かつて権力の象徴であった傘が、権力者から一般市民の手に渡るまでには、どのような歴史があったのか。
本書は傘にまつわる主に海外の歴史を、エピソードまじえながら10章立てで紹介したユニークな文化史である。

 紀元前に傘が発明されたとされるエジプトでは冒頭の一節のように、主権者を日差しから守り、称えるために用いられた。こうした傘の使われ方は古代エジプトの豊穣の神オシリスへの崇拝の意味合いが強いのだという。「雨をしのぐ」道具は、そのまま実りをもたらす恵みの雨とつながっていたのだ。

 その後、長い時を経て傘が一般的に使われるようになったのは、18世紀くらいから。ようやく丈夫で使い勝手のよい傘が作られるようになった。特に早くから一般市民の必需品として浸透したのがフランスだった。ファッションや流行にうるさいお国柄を反映してか、独特な製造業者も現われた。18世紀のパリでは絶えず変化する流行に対応するため、まずフレームだけ作り、そこに顧客の要望に合わせて布が張られていたという。こうしたエピソードや技術的な試行錯誤、人々の傘に対する想いの変化が記された第6章は、本書の中でも最も興味深い章のひとつだ。

 続く第7章で著者は傘生地のデザインについて言及し、「ここにこそ、もっと大胆なデザインや人目を引く色彩への展望がある」と述べている。その最上の例として取り上げられているのが、1960年代のユニオンジャックのデザイン。「『ポップアート』は、たとえこうもり傘でも、雨の日を明るくするのに役立つ」という文でこの章は締められている。雨の日の気分を明るくするデザイン。これも傘に求められる役割として認識されていた。

 「傘産業」について書かれた第10章では、傘人気に乗り遅れたイギリスで急激に産業が拡大していく様子が描かれている。18世紀には楽器と間違えられるほど珍しい存在だった傘も、19世紀に入ると一気に市民に浸透し始める。産業革命の影響だろうが、高品質な洋傘部品が開発され、博覧会では多くの製造業者が腕を競った。骨には籐、木材、ワイヤを通した柳、鯨骨、生地にはシルク、アルパカ、コットンギンガム…。産業が成熟していく過程だからこそ用いられた様々な素材。こうした記述は傘に対する想像を豊かに掻き立ててくれる。

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