イタリア編

2004.06.01

中世の日傘文化の中心地が今では日焼け天国に?


ヨーロッパでイタリアほど傘の歴史が長い国はないだろう。古くはローマ時代に王侯貴族が日除け、そして自らの権威を見せ付ける小道具として日傘を用いた。その後も身分の高い人たちはこの日除けの道具を愛用し続け、16世紀のイタリア王侯貴族たちの娘は、嫁ぐ際に嫁入り道具として日傘を持参したと伝えられている。
 同じ頃、フランスの貴婦人の間ではイタリアから取り寄せた最新の日傘を見せびらかすのが流行りとなり、イタリアを訪れたイギリス人は、現地で目にした日傘について母国の国民に知らしめるために書き記したり、珍品として持ち帰ったりした。つまり当時のヨーロッパにおける傘文化の中心は間違いなくイタリアだったのだ。
さて、時は流れて現在。イタリアで花開いていた傘文化の行方は・・・、イタリア政府観光局のスタッフに聞くと「イギリスに比べてイタリアでは傘を差している人が圧倒的に多い。若い人は比較的シンプルな柄のものを好み、年配の女性は多少お金をかけて高級傘を手に入れている」と話す。イギリスでは中世当時のまま日傘も雨傘も差す光景を目にすることは少ないが、イタリアは自国の傘文化を確実に受け継いできたのである。フィレンツェに行けば、ドゥオモ(教会)のクーポラ(丸屋根)の形を模した珍しい傘をお土産として売っているというから、中性のイギリス人のように“珍品”として持ち帰るアイテムにも事欠かない。
しかし、当時と決定的に違う点も同スタッフは指摘する。それはイタリア人が傘を差すのは降雨のときで、「日傘として利用している人はほとんど見ない」というのだ。イタリアは日焼け天国。「肌を焼きたい人が多いから日傘は差さない」。日本人が現地で日傘を使って直射日光を遮っているのを、イタリア人はとても奇異な目で観察しているらしい。いつ使用習慣がねじれてしまったのだろうか。とにもかくにもイタリア人は遮るものを「日光」ではなく、「雨水」に変えてしまったようだ。
世界的に紫外線の害が叫ばれる中、イタリア人は「そんなこと関係ない」とばかりに小麦色の肌をせっせと目指す。しかし、紫外線カットは時代の流れ。ほど遠くない将来、肌に浮かび上がったシミやシワに後悔し、日本同様に日傘の重要性が説かれる日が来るかもしれない。


 

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